左手のブレーキを手放さない君は、狂っていない。

 断言する。
 極めて周到に用意され計算され尽くした「狂い」を装う者は、過剰に叫び破壊するかのような素振りを見せるに違いない。それは、畢竟、何一つ作り得なかった精神が「自分が何者かである」かのように周囲に振る舞うためには、そそまでやったほうが良いだろう、と推測した結果に過ぎなく、島尾ミホが全精神を賭して停めようとしても止まらなかった局面とは、雲泥の差。

 <それをしも、同じ狂気という言葉で括ろうとするのか!> 

 そして仕事も家も友人もすべてを振り払い、敵に回してまでミホを守ろうとした『死の棘』の主人公、『日の移ろい』の語り手と同等の「覚悟」で、やはりその持てる精神の営みのすべてを賭して「家」を守ろうとしないものが、易々と他者に対して卑劣きわまりない攻撃をするということが、それが許されるというのか。

 蕩尽されるしかない狂気。狂気のコピー&ペースト。自らが仕掛けた闘いを、その消耗しかもたらさない冷たい闘いを闘い抜くことすら放棄して、放棄したという記憶さえ忘却の彼方に投げ捨てる図々しさよ。そのような痴呆としか言いようのない開き直り様を前にしても、なお、書く者は書かねばならぬものなのか。

 限りなく続く消耗、戦線の後退。

 いつか、真白き雪山の景色の中で立ちつくしていた老いた兵士の影のように、それはつきまとい、こちら側から引き戻そうとするのか。

 それとも、単なる消費として済ませるのか。

 それこそゲームとして。

 「狂っていない者を狂っているからといって擁護する者は、大罪である」(小平晋平)