死ねといわれるような国なら

昨日、ポストしたつぶやきが、思いのほかのRTで驚いているのですが・・・。

rocketroater:NHKの短い番組で「国のために死ねますか?」という質問をいろいろな人にするのがあって、私は見てないんだが、「死ねって言われるような国なら滅びてしまえばいいんです」と答えた学生がいたと妻に聞いた。そういう人がいるなら、この国も良いと思った。11:37 AM Aug 13th from web

140字制限があったので、はしょったのですが、いわゆる終戦記念日に向けた短いスポット的な番組なんでしょうね。番組と番組との間をつなぐような・・・。私じしん、それを見ていなかったので分かりませんが。
質問は「お国のために死ねっていわれたら、どうしますか?」というものだったらしい。こんな質問を投げかけるNHKもどうかと思うのだが、いろいろな世代の人にインタビューをして「妻や子供のためなら、死ぬかもしれない」などという回答もあったそうです。そんな中で、「国家の命令で死ななきゃならないような国家ならば、滅びてしまえばいい」というのは圧倒的に正しいと思ったわけです。

この話から連想するのは、寺山修司の超有名な歌

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

ですけど、この歌の虚構性、演技性に比べると、僕はこの学生さんの言葉に(また聞きですが)のほうに力強い思想性を感じるのです。
ひとりの人間として生き抜くことが、環境と状況に対する責任の取りかたであると、私は未だに思っていますので、自己の性に先んずるものなんてのはないし訳です。

ところで、昨日の「ハッシャ・バイ」のなかには、

誰かを救うために誰かが犠牲になっちゃダメなのよ

というセリフもありますが、このセリフは、個人対個人の話。まあ、恋愛の話ですね。鴻上氏の長いこと追いかけてるテーマなんだと思うのですが、所詮は私小説的で個人的な話。

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「殉死」を美化することで、運動や思想が神話化されていく過程を、今回のイランの選挙後の出来事のなかでは、NEDAさんをはじめとする殺された人々を表する「殉教者(martyr)」という言葉に見て、これを嫌悪しなきゃダメなんだという意識を持ち続けていかなきゃと思うのだけど、それもなかなか。


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この言葉の延長には、発言者の学生さんが意識していたかどうか分かんないけど、国家の命令で死ねと言われて、実際に殺されているという状況が、今の日本で堂々と行われているという事実があると思うんだけど。先のポストに「同意」してくださった方々は、「死刑制度廃止」にも同意してくださるものと思ってます。