DAYS JAPAN 「緊急報告!!祝島住民はなぜ、原発建設に反対し、20年以上も闘い続けるのか−スライド報告 広河隆一」

というわけで、9/19 18:30〜の「DAYS JAPAN」さんの緊急イベントに参加してきた。
DAYSから視る日々: 報告 9月19日(土)緊急集会

広河さんは9/13〜14まで取材された。状況は、埋め立て工事の開始を既成事実化するために中国電力が打ち込もうとしている9本のブイを打ちこませない闘いの局面。19日の午後に中電は工事を中止し、20日も中止するという発表をしたが、21日以降は今後協議するというような段階。このブイを浮かべる工事をさせてしまうと、埋め立て工事が山口県の指定する期限内に行われたということになるので、住民は漁船をブイが待機している海岸に寄せ、ロープでしばってバリケードを作って抵抗している。この会の段階で、8日間、工事はこの抵抗活動によって断念されている。
http://mainichi.jp/area/yamaguchi/news/20090920ddlk35040259000c.html
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamaguchi/news/20090919-OYT8T00957.htm
地域・写真ニュース | 中国新聞アルファ
今回の緊急報告会は、この切迫した状況を踏まえてのもの。

最初に、DAYS JAPANフォトジャーナリズム学校の生徒たちの写真がスライドショーで発表された。30人が8/9〜12にワークショップを実施し、住民の方を自由に取材したもので150枚くらいだろうか。とても美しい島。祝島の人たちの生活、笑顔、漁業、農業、町並、子どもたちの姿が、リアルな生活の重みとして伝わってくる。平均年齢70歳、500人の島。四半世紀以上の抵抗活動を闘い続けてきた人たち。間違いなく、新しく137万キロワットの電力なんか必要としない町の暮らしだ。団結小屋の「原発"絶対"反対」の看板。"絶対"というのは、「絶対」のことなのだ。生半可な反対ではなく命がけの絶対。昨日今日にカメラを手にした人もいるというワークショップの方々が撮影したこれらの写真は、すべての日本人が、きちんと見なきゃならないもののひとつだ。

続いてDAYS JAPAN編集長の広河さんの報告。祝島の闘争を撮影し続けてきた那須圭子さんの写真も交えながら、14日までの切迫した行動の記録を見せていただいた。闘争の中心になっている女性たちの姿、待機しているブイの写真とそれに抵抗する漁船たち。レポートでは、上関原発計画についての概要。1982年に表面化した山口県原発計画であり、「日本で最後の新規原発立地点」といわれている。祝島は、原発計画地である上関町大字四代田ノ浦の対岸にある島。集落は原発予定地から四キロのところに集中しており、祝島の町からは予定地が見える。原発が完成したら住民生活の視線の先にそれが嫌でも目に入る。
1982年に計画があらわになって、住民たちは、中電が語っていることが正しいのかを検証するために、美浜原発を見学した。昼間の間には聞けなかった話が、早朝に自分たちと同じ漁師たちに取材することで見えてきた。魚が採れなくなって漁はダメになっていると聞かされた。「原発が、町に金を落とし、第一次産業だけに頼っている暮らしを豊かにする」という中電がいっていることはどこか違うと思った。
女性たちは、中電の招待で原発を見学した。無料で、温泉に招待され、食事を出され、原発を見学したが、そこでは、見学のできない部分が多くあった。規制が多かった。原発に対する理解を求めるならば、危ない部分、汚い部分についてもちゃんと見せるべき、説明すべきだと感じた。やはり何か違うと思った。何かを隠していると思った。帰りのバスのなかで、原発には反対すると中電に対して宣言した。「バスを降りてお土産を貰ってから反対といえば良かった」というのは今も語り継がれる冗談。
農家の出稼ぎのなかには、原発労働者もいた。その若者たちが、住民に原発の定期検査工事の様子を教える。5〜10分でなるブザー。ブザーが鳴ったら作業を中断してスグに引き上げなくてはならない。何度も何度も手を洗うように指導される。核施設で働く者から突きつけられる事実は島の住民の知識となる。英国では船に乗っているときに、「甲板に出るな」といわれる場所がある。「今、原発の横を通っているので甲板には出ないでください」と。目の前にできあがる原発は、中国電力がいうような絶対に安全なものなんかではなく、恐ろしいものなのだ、という意識が強くなる。
女性たちを中心に運動は続いており、毎週月曜日に実施している月曜デモは、1040回に及ぶという。
祝島の人々がたちあがった理由として広河さんがご説明されたなかで、

計画の段階から中国電力の「金でひとを買い上げる」やり方、推進派の「金に心を奪われる」様子を見せられ、原発は自然を破壊し、建設以前より人の心を破壊し、地域を破壊するものであることを心底実感させられた

というのがあった。これはとても重要な理由であり、金で故郷を売りはらうことへの痛みを拒絶することが、祝島の人々が実に9割の団結で立ち上がったもっとも大きな理由であると思われる。金を払って嘘をつく人を信じない。決して、消費資本主義的には「豊か」ではないだろうが、暮らしに満ち足りている島の人々にとっては、金のために、島が分裂することが何より嘆きなのだろう。

ところで、那須圭子さんの『中電さん、さようなら〜山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』には、「上原原発音頭」という歌詞が描かれた看板の写真がある。早くから祝島の抵抗活動を撮影し続けてきて、那須さんにカメラを手に取ることを勧めた福島菊次郎氏による写真である。途中、人物とかぶっていて読めないところもあるが

一、町長選挙で五拾万/旅行にさそうて一万円/チラシを配って五千円/名前を貸すだけで一万円/印鑑集めりゃ金と酒/ちょいと顔出しゃ寿司弁当/金が欲しけりゃ中電さ/これじゃ働く者はバカ/原発推進ヨヨイノヨイ
二、放射能の(不明)い霧/まみれた金(をフ)トコロに(不明)/チケットも(ろうて)はしご酒/飲む打つ買うて有頂天/バーやキャバレー温泉と/ゆるんだバンドも新品に/これぞこの世の極楽じゃ/女房子供も何のその/原発様々ヨヨイノヨイ
三、悪銭身につくわけがない/夜を日に次いで遊ぶうち/気づいたときにはもうおそい/サギに横領サラ金と/きのうの友も今日は敵/女房子供にゃ見捨てられ/親子の縁も(不明)切って/故郷いて(不明)くれ/(不明)ヨヨイノヨイ
四、オシ(以下二行不明)/人間滅んで町が在り/魚が死んで海が在り/それでも原発欲しいなら/東京 京都 大阪と/原発ドンドン建てりゃ良い/ここは孫子に残す町/原発いらないヨヨイノヨイ
(1980年代・福島菊次郎氏撮影の写真から)

この歌も素晴らしい。が、金は曲者らしく、若者の間には「補償金」欲しさに「推進派」にすり寄る人も出てきているという。

というわけで、広河さんの報告が終了すると、署名とカンパの要請があった。
署名は163名分が集まり、カンパは、約85000円が集まったという。祝島の行動は、稼業である漁業を中止して漁船を出してバリケードをつくるという大変なものであり、そのために、島の人々の暮らしはままならない。持久戦に持ち込まれれば体力が持たない。少しでも、外部からのカンパが必要だということだ。

「はっぴーあいらんど祝島」の柳川優子さんのレポートは、地元で活動している人々の様子を東京で伝えたいとの気持ちを表明。

原子力資料情報室・澤井正子さんのご説明。上関原発計画の立地。埋め立て予定地についての説明。絶滅危惧種であるカンムリウミスズメやスナメリの生態を中国電力が意図的に生態環境調査から削除していたことなどの問題点の指摘。取水口、排水溝の位置と海水への影響。また、取水口に大量にこびりついたフジツボやムラサキガイの様子の写真を上げられた。取水量が膨大なために、このフジツボ等の死がいの処分も大変なほどだという。

そして、『六ヶ所村ラプソディー』の監督で、現在祝島を取材し続けている映画監督の鎌仲ひとみさんかせ、現地からたった今戻ってきたばかりといいながら飛び入り。たった今までの現地の状況などを報告。そのなかで、中国電力が説明会に集まった反対派の人々に暴言を二つ語ったことが問題になっているというネタが彼女の軽妙なトークで語られていく。ひとつは、「第一次産業なんて、もうダメでしょ」という発言。そしてもうひとつは、「あなたたちは騙されている。島には、独裁者がいて、原発は怖いと洗脳している」という発言・・・。それに対して、抵抗活動をしている女性たちが「宿題を出します。どうして、私たちが起こっているか考えてきなさい」というと、次の日に、漁船をわたりあるいて「考えたが、わからなかった答えを教えてください」と語ったと。
いやはや、である。祝島の人々の活動の元気さが伝わってきた。

那須圭子さんの写真集『中電さん、さようなら』にあった言葉が浮かぶ「私らに死ねというんですか、漁師じゃけ、海は売られんです」。

◆海を売らない島人たちの活動に賛同し、抗議を申し入れる先
DAYSから視る日々: ファクス番号・メールアドレス

◆3日に行われる「NO NUKES FIESTA」の詳細ページ
http://www.nonukesfesta2009.com/

祝島島人による原発絶対反対 活動のページ
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※家人が店主をしております北千住のベトナム雑貨、カフェ「HANOI & HANOI」に、
 「DAYS JAPAN」の2004年からのバックナンバーが寄贈されした。DAYS JAPANさんに心から感謝いたします。