誰が一人称コンテンツなんかに価値を与えたのか

ここんとこやっとブログってものが認知されてきたわけですが・・・。おととしあたりにあるネット専業証券会社にコンテンツとしてのブログを提案したんだけど、僕のプレゼンテーションが駄目だったこともあってか導入までは至らなかったし、導入されていたとしても、よくよく考えれば、僕のビジネスにはならなかったよな。書き手だけ紹介して終わりみたいな感じだ。それで、しばらく見学者でいたんだけど・・・。ブログで思い出すのが、90年代後半の「日記サイト」のブームですよね。ポストペットの八谷さんがICCnetでやってた「メガ日記」とか・・・。あれはいわゆる日記であって、私生活を記述してた人がほとんどだった。他人のプライベートと自分のプライベートとが隣り合わせになっていて、互いに侵食してくるという面白みが八谷さんの「アート」だったのかもしれない。まあ、ICCnet自体、とても刺激的な場だったにもかかわらず、自然消滅みたいな形でなくなってしまったわけですが・・・。

で、どうでもいいんですが、ブログの利用者数ってのを調べて見ました。
こんなデータありました。

「ブログ」サービスサイトへの利用者が急増、「はてなダイアリー」が最大の利用者を集める@Nifty「ココログ」も前月比3倍増の利用者を獲得して急増

あ、PDF直リンです。
今年の1月のデータだから、古いんですが、「はてなダイアリー」で200万人ですよ。
で、この時点で上の表の利用者数を全部足すと340万を超えるわけですね。
凄い勢いです。

某著名ブログの管理人氏にインタビューをしたとき、今年の7月だったんですが、いよいよ簡単なシステムを提供する事業者が増えてきたので、マイナー感が払拭されはじめるとともに、個人がたらたらやっているブログの住む世界とはまったく別の、いままでインターネットでモノを書いてなかった層のプロフェショナルが進出してくるだろう、と。そして、いわば、「知識の検索エンジン」化していくだろう、という話になったんですけど、実際にタレントモノのブログって多くなりましたね。

それでもなお、個人の一人称コンテンツをみんなが楽しんでいる。

知識ってものに、1>「有用なデータ」 2>「有用な分析、見解」っていう優先順位みたいなものがある感じがしてて、そのあとに、3>「どうでもいい雑学」 4>「個人の戯言」みたいなのが続くって思うのですが(この考えも戯言ですけどね)、「知識の検索エンジン化」とは別のところで、「戯言の検索エンジン」もそれなりに有用性をもっているように見えてならないんですよ。これはプライベートなつながりってことですよね。戯言同士の共感による消費し消費される関係。それが、一人称コンテンツの価値なんでしょうか。