おっさんになるってこと


まあ、いくつかの電話を受けながら、ContaxIIIaのクリーニングをしていたわけだが・・・。おっさんになったなぁと。当たり前だけど、おっさんってのは関係なのよ。「お世話になっている」ってコトバが普通に行き来するような関係。「お世話」ってのは、「お世話してお世話される関係」のお世話。だから、義務と権利のバランス。でもそれ以前に、ちゃんとしたステージってのにいるかいないかってのが重要ってことなんだよね。これ重要。


おっさんってのは、一人前同士の付き合いのなかからおっさんになって行くわけだな、と最近思うのよ。たとえば、NPなんかはああ見えてミュージシャンとしては一人前だし、カゾーだって僕なんかよりよっぽど一人前なのよ。だけど、少し前までの俺は、恐らく、一人前ではなかったわけだな。この1年で、神田の連中と付き合うようになり、会社の資金繰りをまわすようになり、人にきちんとギャラを支払うようになり、親に十万円の旅行代をプレゼントするようになり、歳暮のやりとりをし、そういう自分たちの親が40歳の時にやっていたことをやるようになってきた。まあ、家庭を構えたのってのが大きなファクタなんだろうけど。おっさんの関係ってのが、凄く心地よく感じられ始めているわけだ。


思えば、それ以前の俺を眺めながら、たとえば、某代理店でコピーライターをやっている小学校からの同級生とかは(カゾーとか、NPとかも)、その未熟さを歯がゆい思いで見ていたんだろうな。好むと好まざるとにかかわらず、俺たちゃ40のおっさんなのよ。おっさんの基本は助け合いだ。そしてそれは相互監視の間柄のなかに入り込むってことだ。コンサバになっちゃうわけですね。


つーかさ、基本的に奴隷だってことをちゃんと自覚するところからおっさんは始まるんじゃないかな。奴隷がバカな夢を見ているのが、おっさん以前で、奴隷が奴隷を自覚するのが、おっさんなのよ。わっかるかなぁ。で、それにともなって、使えない関係を清算していくってのも必要なんだよね。マイナスのベクトルを背負い込む必要はないわけ。もちろん、それは間違っているんだろうね。だけど、間違っているということを言えるのは、自分ひとりにだけ責任を背負っていられる間だけなんだよね。つまらない話だけど、守るものが出てくると、そうはいかなくなるわけ。


まあ、こんないい訳をしながら、俺は、おっさんのようにライカ使いになり、おっさんのような写真を撮るようになって、おっさんのように大切な友人の息子にカメラを教えるようになっている訳だ。