「ぶっさいくな旦那」としての生き方

  • 先日、酔っぱらいのババアから「ぶっさいくな旦那」と声を掛けられたが、彼女がその全存在をかけて放ったであろう最終兵器としては、余りに、余りにも幼稚なその言葉は、良い気分で女房と飲んでいた私に突き刺さることはなく、無為にも散っていった。バカだのキチガイだのという言葉で救出する気はない。ただ、哀れなだけだ。40がらみの独身女性で一人暮らし、何かひとつの仕事を物にしているわけでもなく、無収入。生活費は寝た男からのカンパ。彼女にどういう価値があるというのだ。
  • 40年近くも生き続けていた過程で、どういうきっかけか身につけてしまった「プライド」の、それはほとんど自分じしんの自己愛から出てきているだけのものであるから、そのプライドを裏付けするだけの客観的な価値が0に等しい存在であるのにもかかわらず、その「ゼロ」を認めてしまうことは絶対的な敗北を認めることになってしまうら、ゼロであるという事実と向き合おうとしないことを、どこかで決意せざるを得ない。もちろん、そういう精神の成り立ちってのは、誰もが幼少期から青春期にかけて持っているものであって、客観性を獲得する過程が、オトナになるということな筈なのだが・・・
  • その女性に客観的な魅力があるかどうかを判断できずに、ただ単に、近くにいてやらしてくれるという利便性を愛情だと勘違いしている持てないダメ男だけが、そういうバカを増長する風に機能しているのだから、詮無い。