「第2回世界ブサイク会議」と凡庸な精神

▼ もちろん、奇跡は物語の形をとらない。世界と私との闘いなんてものは誰もが気づくずっと以前から始まっていたのだし、もとより、この闘いで「私」は「私の側」に荷担する必然はない。カフカの言ったとおり。その程度のこと。これはイデオロギーの問題ではなくて、単に知性の問題。
▼精神のハッカーであることと、暴走を模倣する凡庸な精神とは全く別途であるってことくらい、「オランダラジオ」の読者ならわかっていると思うのであるが、限定された200人の読者だけを対象としたあの奇跡的な議論空間が、物理的にも精神的にも存在しない現在にあっては、そういう「ライン」を期待するほうが拙いんだろうけどね。
▼ならば命がけで暴走しろ。死んだ半沢がそうであったように、「黙って野垂死ぬな」と言い残して沖縄で焼身自殺を遂げた洲治がそうであったように、全きノンブレーキで行け。ノンストップスピードキングであれ。
▼デモのときに機動隊への投石で必ず手加減をしてしまう奴らがいたように、暴走を模倣する凡庸な精神は、右手で殴りつけながら、左手では良く効くブレーキを握りしめている。こいつらはブレーキの手入れだけは熱心だ。そしてそのブレーキは極めて狡猾に、卑怯な手段で、いつも作動せられる。