小平晋平について

 
 ここで、小平晋平という人物について少しばかり触れておく必要があると思われるのだが、そもそも、この物語などというには余りにも抑揚のない語り口で語られるともなく語られる語りが、極度な緊張と弛緩の曲線を緩っくりとしたリズムで繰り返しながら永遠に外部とは言えないどこかに向かって叫びとも呟きともとれる、そう、音楽というのがもしかしたら適確なのかもしれない、そんなレシによって、不確かで獏とした「事件」の印象だけが綴られていくテキストの流れの中にあって、ある程度はマシな具体性を帯びているかのように、強い感情を露にしている登場人物である小平氏は、それこそ負けたというただ一点だけで「悲しみ」を共有し、それまで以上に連帯を深めたかのような幻想を、国の人々の大多数が感じながら「復興」と名付けられた極めてセンチメンタルでハイテンションな普請に向けたエネルギーが弓形の島を不気味に包んでいた昭和三十年代に、現在の大田区に建てられた家に生まれ、この国の王の一家が通うことでなの通った私立学園の大学を卒業してからは、戦争の初期ではすべての敵国を震え上がらせた高性能で高速な戦闘機を製造するなど武器製造を担い続けているある財閥系の商事会社に勤めている会社員である。晋平は、歳の離れた三人兄弟の真ん中、十五歳上の兄は大手広告代理店の営業社員を勤め、十歳離れている妹のほうは、武蔵野にある大学を卒業し銀座の出版社でファッション雑誌の編集をしているというのが現在。このような家を幸せな家庭と呼ぶのが適当であろうというこの国の一般的な意識からすれば、それは幸せに包まれて、何不自由のない豊かな祝福された生活を送っているとも言える訳であるし、同級生たちや仕事で出会う者たちが口を揃えい褒めるのは、三兄弟の人あたりの柔和さであり、過剰な執着心を持たない大らかさであるわけなのだが、まあ、何時の世にも、他人には計り知れないのが人の個別具体的な人生なのだから、それはそれでさまざまな問題や事件はあったと言うのだが・・・。