覚悟のないデカダンスは醜悪なだけだ

 北村史郎が、自分の最愛の家族である配偶者の死を目の当たりにしたとき、当のキチガイ模倣女は浅草にある自分じしんのお茶の間同然であると公言し「私は、ここの娘なの」と齢四十に至ろうという自律すべき精神の吐き出す言葉とは思えない醜悪で作為に満ちた狂気を模倣するしか能のない者特有の世界中と自分じしんがいったいになっているような幻想のなかに浸りながら、それでも、自分の吐き出した言葉の稚拙さ、醜さに自分じしんも気づかぬわけもなく、その言葉の行方を先々まで監視しているという意志というか志向というか、そんないい加減な態度を、信じられないことに、自分じしんでは、世界で最も美しく、賢い存在なのだと確信し、そもそもが、地元では著名な開業医の息子として生まれ現在港区にあるテレビ局の報道部門でディレクターをしている愛人が、自分じしんに対する無限の寛容さと全的な肯定によって支えてくれているように、「自分だけが悲しい思いをしながら、がんばって生きているのだ」などという北千住の駅前でギターを抱えて歌うというよりは地声で叫んでいる低脳な自称ミュージシャンと同程度の表現を恥ずかしくもなく、恥ずかしくもなく口にするときも、地元では著名な開業医の息子として生まれ現在は港区にあるキー局の報道部門でディレクターをしている外国人名で自分のことを呼ばせることに何の違和感や羞恥心を感じることのない男が支えてくれるなかで、普段通りの暴力行為、醜く泣き、意味もなく叫び、同席している他人の目も憚らずにライターをカウンターにぶつけ、グラスを割り、箸を折り、あかの他人の座っている真横に来て「私は、キチガイだから! 私はキチガイから、キチガイだから」と叫び、迫りより、根拠のない免罪符を振りかざしながら、その暴力の剣を振りかざしていくとき、そう、狂った者勝ち、狂ったほうが楽で、自由であるかのような自分勝手なキチガイの真似を繰り広げていたのだが、その現場に、まさに、北村史郎からの電話が入ったのは、恐らく、救急車を呼ぶよりも先に、その浅草にある店に電話を<しなければならない>という観念が、それまで型どおりの祝福せられるべき生活を、自分の勤勉とビジネスパーソンとしての絶えない鍛錬の末に手にしていた北村史郎でさえ、彼の常識的な判断を超えて、この店、キチガイ模倣女が暴力的に暴れている店に最初に電話をしなければならないと感じたのだから、北村史郎としては、この女の模倣に過ぎない卑怯で醜悪な狂気を一生かけても糾弾し続ける愛妻の敵とすることを決意した瞬間があるとすれば、この電話を、店主が取った時間がまさにそれであるのだが・・・。