山の手事情社 「傾城反魂香」「摂州合邦辻」

先週、今週と二演目を連続で観る。「傾城反魂香」は「ども又」の下りだけではなく、全体の通しを1時間半の芝居にまとめた芝居で、ほぼ全編を役者の台詞で構成。役者は独特の動きをしながら台詞を語る。無理度の高い動きを積極的に入れていきましたという感じのダンスは圧巻。躰の動きが物語りを常時異化するという方法は最近の定番なのだろうか。「摂州合邦辻」は、全体ではなく、下の巻の切をモチーフとして芝居を展開。芝居全体の筋は、演出家の安田氏が「男」として二度登場してかいつまんで語る。こちらは役者の身体性を追求したエチュードで作り上げたパッセージをつなぎ合わせながら物語の主人公たちの日常を表現しつつ、芝居の大詰めの台詞を交えるという仕上げで、僕が観てた頃の大昔の山の手事情社の方法論に近い。取っ替え引っ替え若い女の躰を求めるエロエロな合邦の造りが良い。黒子的な位置づけの犬たちは、物語をカタストロフに引き寄せてしまった見えない「意志」の謂いだろうか。この劇団は劇団全体での表現にこだわっている。ひとりひとりの役者は置き換え可能なコマとして正確な演技をしていくことを求められ、決して個人由来の情念的な表現をしないのだ。振り付けの端々に、安っぽさが見え隠れするが、これもそれをコマとして演じる役者たちの訓練の一環として考えると合点がいく。メソッドのための芝居なのだが、しっかりと芝居としての臭さを出しているのが心地良い。「俺たちカッコいいけど、泣かせることろはしっかり泣かせるから」という態度だ。これは二作に共通している。特に「合邦辻」では、たったひとつの物語を幾度も違う角度からフラッシュバックのように繰り返し現出させながら、最終的に玉手が自身の企みを語る語りで物語を破壊する。こういう芝居づくりというのは、この劇団以外の誰にもできない技だ。