虚構の劇団公演『ハッシャ・バイ』

というわけで、第三舞台がサンシャインに進出したときの名作『ハッシャ・バイ』。鴻上尚史の新しい劇団「虚構の劇団」の高円寺での公演を観てきました。

『ハッシャ・バイ』は鴻上×第三舞台のひとつの到達点だったと思う。二階席のあるサンシャイン劇場、名越さんの最後の舞台。楽日にロビーで帰るに帰れなくなっている観客を相手に挨拶してくれた名越さんの姿を思い出してしまう。

そんなこんなで、観劇に行ったのですが、「えっ、ワークショップ?」という感じでして・・・。役者は若手ですごく頑張っているのだが、その頑張りようが、どうしても、「大学の劇団が第三舞台の作品をコピーしました」という範囲を超えていない。つまり、役者ひとりひとりを突き動かしているのが第三舞台の『ハッシャ・バイ』に対する敬意であり、憧憬であるという感じ。この劇団に参加している役者はみんな鴻上さんのファンなんだな、と思った。大好きな鴻上さんに芝居を教えてもらってて、という関係。だから、全力で頑張ってしまう。結果、やってる役者が一番満足して、やってる役者が成長するためだけの芝居に見えてしまうのだ。

もちろん、台本と演出が良いから楽しめる。特に立体感を感じさせる映像の使い方は素晴らしい。
ウサギファミリーのシーンは絶品だったし、役者ひとりひとりの出来は、今現在の小劇場のレベルで考えれば、ず抜けていると思う。学校や家族、精神病棟のシーンひとつひとつを見ていると鴻上さんもそうとう楽しみながら芝居を作っているんやなと思う。なんというか、親が子を育てている感じ。

それだ、鴻上尚史は先生か父親になっちゃったんだ。

役者と鴻上尚史とが対等で、鴻上さんの意図を否定する役者が芝居を壊していくような迫力はないんですよね。じゃあ、それが、あの公演を否定するのかというと、そんなことはなくて、父親が子らに芝居というものを教えて、仕込んで、がんばれよと見守っているのを、やっぱり客席から「がんばれよ」と観客が見守っているような感じを肯定するならそれはOKでしょう。父親になっちゃったことが芝居を去勢している。「キチガイキチガイを呼んだ」というセリフが「危ない人が危ない人を呼んだ」と言い換えらる場所などに、安全で無害な芝居が見え隠れする。なんで、第三舞台が旗揚げした頃と対して歳の変わらない役者を相手に、そんな攻撃性、暴力性を排除した演出をしてしまうのかが理解できなかったんだけど、「父親になっちゃったんだ〜、てへっ」ってことを理解するとすべてがつじつまが合う。

いじわるな言いかたになるが、「役者との対等なエロス的関係を否定するならば、劇団なんかやめちゃえばいいのに」とも思う。でも、鴻上氏じしんの演出で、『ハッシャ・バイ』という作品を死ぬ前にもう一度見ることができたのは、それはそれで嬉しい体験だったんですがね。