マーケティングが科学の装いを見せている以上、それは客観という病にとらわれていると言われてもしょうがないだろう。

「解釈だけが存在する」世の中で、「根拠」なんていう恥ずかしいことばを吐けるのは、このマーケと裁判所くらいのものだからね。
もちろん定性的な現象をもとにマーケティングを構築する天才ってのはいて、そこには、一見、なんの分析も根拠もないように見えるから、それはそれで罪なのかもしれない。
続けていることがひとつある。記述法と勝手に言っているのだが、アイディアでも言葉でも、とにかく具体的に書き込むノートを持ち歩くっていう単純なことだ。みんなしていることだと思うが、この蓄積ってのは確実にプランニングの力になっている。
事業アイディアってのは面白いもので波があるでしょ。どどっといくつでも浮かんでくるときもあれば、もう粉も出てきませんってときもある。鼻血も出ませんってときは、仕方がないからとにかく資料を読み続ける。図書館ってのはその点は便利だ。前にも書いたが、最近図書館で作業をすることが多い。携帯とパソコンを持って図書館の席に陣取り、資料を探しながら課題をこなしていく。学生のように。
で、定量データだ。
白書ってもんを、そんなあてにならないものを、どうして使うかってことが昔話題になった。簡単である。白書はひとつの解釈だからだ。そして未来予測ってのは解釈によってしかできない。予測が予測たる所以だよね。だから白書だろうが、300名の母集団に対する恣意的なアンケートであろうが、そういう解釈が存在しているという蓋然性に疑いのない限り、それ志向されるべき対象なのよ。白書=この国の自己分析ってことですよね。
ぼくは、基本的には、行政の分析と指針だけで背景はOKっていう方なんで、あとは、定性的なデータに頼ることにしている。
それが、記述法のデータベースだ。
ありていに言えば、ネタ帳ですよね。

■お題「○○に必要なことは、すべて○○から学んだ」

とかいきなり書いてあります。いやいやこのとき何を見て何を考えたのかもはや知りようもないんですが・・・。

■都心ワンルームマンション購入者の3割が○○である
 ○○に入る言葉は?

 ・萌系 ・SE/プログラマ ・年収五百万以下 ・ブロガー ・・・・。

 徹夜明けとか、想像力の弱っているときのメモですよね。恥ずかしい。

まあ、こういうのが、大学ノートに数十冊あったりします。
すると、情報は情報を引き寄せるんですよね。新聞とか雑誌を読んでいても、ここに書いてあることが自分の興味の対象になっているから、情報収集に志向性ができるわけです。「意識とは何物かに対する意識である」ってことですよね。

データを読むときに、大切なのは仮説。そしてデータを曲げるのも仮説。

まあ、こんなん書いてても、実は、センスだけで軽やかに超えている人たちには、絶対にかなわないから仕方がないんだけどね。


≪今週のお仕事≫

  • オンラインのセレクトショップ運営方法
  • 企画書1
  • セミナーの実施計画書
  • 来年の夏の教育系イベントのコンセプト
  • 某ポータルの原稿
  • 某HTMLメールの原稿
  • 某商品の市場調査のスケルトン作り

なんか、忙しいのか暇なのかわからん。