真空飛び膝蹴り的コケ方〜 コケ3度目・・・。

 コケた。日本橋三越で弁松の折と妻のために雅の弁当を買い、神田の事務所に戻って、帰り支度をしてから20:00くらいに神田を出発したのだが・・・。

 いつもは歩道を走らないんだけど、なんか歩道に入っちゃって、東神田の交差点にさしかかり、大通りを横断するために車道に出ようとしたのだが、歩道の端がスロープでなく通常の段になっているのに気づかず段差で小ジャンプ状態、車体への衝撃を減らすために無茶なブレーキで、後輪が上がってひっくり返って左側にコケたのだが、どこも打たず。車も幸い通らなかったので大事には至らなかった。通りがかった自転車の女性が「大丈夫ですか・・」などと深刻に超えをかけてくれたのだが、最初気づかず。端から見ると、一回転している格好なので、心配してくれたのだろうけど、「少し休んでから行ったほうがいいですよ」と言われ、それもそうだと思い路上喫煙禁止の神田で堂々とタバコを吸いながら車体のダメージを検証。サドルが左に回っていたので修正、ついでに高さを3センチ程度高くした。グリップエンドがちょっと別の方向を向いているが、これは直る。しかし120kg近くの体重の人間を乗せてコケても、フレームのぶれひとつないしディレイラーも健在。頑丈な自転車である。少しギアを馴してからスタートして無事帰宅。少しスピードを出しすぎている、もちろんロードで走っている人たちに比べて速いというわけじゃないんだけど、完璧に制御できるスピードを超えているという感じか。なんでもないブレーキングミスで自爆とは・・・、カッコ悪い次第である。
 ちなみに、弁当は無事だった。今回、体が地面に叩きつけられなかったということらしい。が、なんか昂揚していたらしく、その先の道のりは酔っぱらっているような状態。スピードを意識的に落として走った。サドルを高くしたので加速しやすくなっていたみたいだが・・・。

 意味不明ですが、勘弁。

 予約のできない人気店と千葉の富豪のこと。

  • というわけで、昨夜は油断。ハンバーガーというのは絶対悪である。やはりファストフードを徹底的に排除する必要がある。素材の問題とかどうとかいうことではなく、グロテスクなまでのカロリーのデタラメさの問題だ。本当は意志の問題なんだけどね。
  • 朝食→東神田のパン屋さんの野菜サンドイッチとウーロン茶1リットル+水
  • 昼食→2:30くらいに、打ち合わせの帰りに買ってきた歌舞伎座の弁当

   「夏の限定品 彩食涼味 寿司詰合」

  • 夕食→20:30くらいに、日本橋弁松の折づめを少し。

   冷蔵庫に入っていたビーフのピタ1個を食す。

  • 朝体重:119kg リターンズ
  • 運動:自転車通勤 往復18km

※久々の8時台自転車競争の結果、ずいぶんと速度を上げてしまった・・・。

 歌舞伎茶屋の弁当

というわけで、こんなもんを喰った。打ち合わせの帰りに歌舞伎座の前を通るので買った次第で、別に「十二夜」を幕見したわけではない。量は少なめだが、寿司弁当なのでご飯の量が多い。歌舞伎座周辺ならば、木挽町辨松の弁当のほうが好みである。関係ないが、帰りに「べんまつ」違いで、日本橋弁松の弁当を買って帰ることにしようかな。

 その暗さが鬱陶しいのだ。

 小平晋平の身の上は、いつかご紹介した通りで何の不自由もなく戦後日本の文脈のなかでは、充分に豊かな生活を生まれながらにして享受できる家庭環境によって支えられ、それは、現在から振り返ればその頃から既に、小平晋平のように豊かで文化的な暮らしを何の不自由もなく暮らすことができた階層と、そこに及ぶまでにはどれだけの労働を費やす必要があるのかということさえ見切ることが困難であり、つまりはささやかに営まれる日常生活の彩りを、多少削っでも充分に間に合わせられるわけもなく、それは、過去に三浦つとむ氏がどこかで指摘していたように、低学歴労働者が自分の子どもに高等教育を受けさせるためには自分じしんの労働の再生産にかかる資金を削らねばならないという定理に従うほかはなく、もちろん、その高等教育というものが、努力と勤勉は報われるという無根拠なプロパガンダに支えられ続けているこの国の<差別のない平等な国家>というご立派な、この上もなくご立派な理想を実現しているかのような幻想を世界に、そして哀れでナイーブなこの国の青少年に対して植えつけるために周到に準備された、アリバイであるにもかかわらず、多勢はその一点さえ解消できれば、現在「イエ」が置かれている、辛どさ、きつさ、から一族が解放されると本気で考えているのかどうか知れないが、そういう文脈でいえば、本気で考える程度の頭脳の働きが、この国の多勢にあったとしたならば、現在になって自分じしんの首を絞めるだけの政治や行政、そして企業の営みを手放しで承認しているようなことにはなっていない筈なのだから、やはり考える主体として自律しているわけでもなく、ただただ、小平晋平の兄が勤めている企業が代表するこの国の多勢を自在に動かし、心地よい胎内回帰にも似た、心地よい思考停止に導き、疑問も批判も持たない去勢された精神に加工するシステムに流れ流されていくだけであったと言えるのだが、そのような階層とに、実に、団塊の世代と呼ばれる戦後自由主義教育を享受してきたという幻想に浸りきっている人たちが、自分の精神は自由であると思いこんでいる間にも確かに、支配システムが強固になっていく過程がつらつらぺっぺと進行していく局面では、小平晋平のような階層は、ある意味、固定化した階級と呼ばれても仕方がないものとして、現前し続けていたわけであるということなのだが、そういう階層の、小平晋平が置かれている環境に小平晋平じしんは意識することもなく、ただ、成長してきたわけだが・・・。